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東京都中野区の歴史
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所在地 中野区上高田1-1-10 

  浄土真宗 本願寺派 正見寺
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所在地 中野区上高田1-2-3 

  曹洞宗 青原寺





所在地 中野区上高田1-2-7 

真宗大谷派 源通寺


  河竹黙阿弥の墓所

 江戸時代末から明治の中頃に活躍した大劇作家、河竹黙阿弥(本姓吉村、2代河竹新七、〔1816~1893〕)の墓所が、当時の墓地入口にあります。 
 河竹黙阿弥は、鼠小僧次郎吉を義賊にした作品をはじめ、「三人吉三」や「白波五人男」などの盗賊を主人公とした生世話狂言で、世相を写実的に描く近代演劇への道をひらきました。
 しかし、幕府が写実的傾向を禁じて勧善懲悪を奨励したため、河竹木阿弥は作風の転換を強いられ、その後、幕末・維新期の激動する社会のなかで、江戸時代後期の歌舞伎の創作法を整理・集大成し、「真に江戸演劇の大問屋」と坪内逍遥に評される仕事をなしとげました。
 黙阿弥の作品は、4代市川小団次をはじめとする歴代の名優によって演じられました。
 明治41年(1908)、当寺が移転したとき河竹黙阿弥の墓も浅草から移されました。

 昭和57年(1982)2月  中野区教育委員会


所在地 中野区上高田1-2-9 

荒居山 法喜院 高徳寺




 新井白石墓
 東京都指定旧跡 大正8年(1919)10月指定
 所在地 中野区上高田1-2-9 高徳寺墓地
 
 江戸中期の朱子学者、政治家。名は君美、通称勘解由、白石は号。木下順庵に朱子学を学び、その推挙により甲府の徳川綱豊(のちの家宣)の儒臣となり、宝永6年(1709)家宣が将軍になると幕臣として、間部詮房とともに家宣を補佐。正徳の治を開き、数学と政治の一致につとめた。武家諸法度改訂、貨幣改鋳、海舶互市新令の施行、儀式典礼の整備などはそのおもな事績である。享保元年(1716)引退。学者として特にすぐれ合理性と実証を重んじ、朱子学的思考と実践の結合した合理主義者であり、日本古代史に合理的解釈を試み、外国事情にも意を用いた。主著「藩翰譜」「読史余論」「西洋紀聞」「采覧異言」「折たく柴の記」など。

 平成10年(1998)3月建設  東京都教育委員会


所在地 中野区上高田1-27-3 

  
  臨済宗 蒼竜山 松源寺 (猿寺さるでら











所在地 中野区上高田1-27-6 

  曹洞宗 天壽山 宗清禅寺




  『 宗清禅寺 通称なが寺又たつ寺と云 』


所在地 中野区上高田1-31-2 

  曹洞宗 保善寺(通称 獅子寺)

盛髙山保善寺といい御本尊は釋迦牟尼沸をまつる 開山は勅得賜円明宝鑑禅師蟠翁門龍大和尚で武田信玄の従弟にあたる 文禄2年(西暦1593年)の創建 3代将軍徳川家光公牛込酒井邸にあそびし折り当山に立寄られ獅子に似た犬を賜う 以後獅子寺と称す
明治39年(1906)牛込通寺町より当地に移る 本堂正面に月舟禅師筆「獅子窟」の額をかかぐ



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