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東京都中野区の歴史
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所在地 中野区中央2-33-3 (宝仙寺)

 中野区と新宿区との間を流れる神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を挽くことに使われていた。
 そばの一大消費地となった江戸・東京に向けて玄そばが全国から中野に集められ製粉の一大拠点となり、中野から東京中のそば店に供給されたため、中野そばとまで言われるようになった。
 その後、機械化により使われなくなった石臼は道端に放置され見向かれなくなっていった。
 それを見て当山、宝仙寺第50世住職富田敦純大僧正(宝仙学園創立者)が、人の食のために貢献した石臼を大切に供養すべきであるとして、境内に「石臼塚」を立て供養した。

 平成18年(2006)12月吉日 
  献額   中野区商店街連合会
        社団法人 中野法人会

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