東京都中野区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 中野区新井5-3-5 (新井薬師) この後尊像は 聖徳太子御歳16才のお姿にて聖徳太子の遺訓を仰ぐため 組合員鶴谷善平氏が 昭和34年10月5日より多忙の寸暇をさき 意に満つるまでの一念に折りをこめて制作したるものなり 中野支部の協力のもとに梅照院の御協賛と後援によりこの場所に建立せるものなり 思うに戦後建築職人の技能の低下が嘆かれ特にわれわれ左官職も稍もすると技能を軽んじ社会的にも軽視されがちな傾向多々ある今日鶴谷氏これを大いに憂い技能者養成指導員の技術に対する重要性の再認識と次代をになう後輩諸氏が聖徳太子の遺徳を遵じ奉ると共に技能の向上を促す念願にて制作せるものなり 左官技能者も氏の如き頑固なる政策熱意あらば 鏝1丁にて斯くの如き気品髙き御尊像制作かのうなるを如実に示せり願わくば同職各位におかれても上述の意を参考にされ益々技能練磨と新人育成に努力し業界発展の資に供せらるれば甚だ幸なり 新井山梅照院の語厚志と鶴谷善平氏の意思を讃え茲に由来を記するものなり 昭和35年(1960)4月5日 東京都左官職組合連合会中野支部 飯田圭市 謹書 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|